東京の大雑踏から抜け出して、私が延岡で暮らし始めたのは、約40年前のことで、山・川・海と身近な、豊かな自然環境は、東京とは全く違った別天地でした。
当時、赤水の日高家は「ぶり大尽」として噂に聞くのみ、遠い存在でした。
延岡に移転して間もなく、品川・五反田の表千家家元、岡田弧逢庵の当主、中村長之助氏から
「赤水という処に、僕の慶応幼稚舎から 大学まで一緒だった日高宏弥という友人がいるはずだけれど」
と連絡があり、驚いたり、喜んだり。直ぐ、中村氏と俳人の守屋鷹男氏の日高邸訪問が実現しました。
お二人は戦争中、台湾の陸軍病院に入院されていた将校傷痍軍人で、私はその病院にアルバイト学生として勤務していたのです。
日高邸でのお二人は当主の宏弥氏と三人、小春日和ののどかな1日を、今回料亭として解放された大座敷で、思いっきり手足を伸ばし、寝そべりながら、尽きぬ話に時間を忘れたと満足しておられました。
宏弥夫人の久子様は、ご実家が千代田区1番町で、番町小学校の卒業生。
この学校の卒業生には吉行淳之助氏など有名な方が大勢です。私は市ヶ谷で内科医院を開業している同級生の荒木律子さんから、靖国神社の傍の洋菓子店「ゴンドラ」のクッキーをいただき、久子様に差し上げますと懐かしがられ、荒木さんも番町小学校出身と判明。お姉さまと同じクラスだったとか。
三人姉妹で仲が良く、お母様手作りの洋服がよく似合い、子供たちの憧れだったそうです。
お母様のお父様、つまり久子様のおじい様は満鉄総裁の大村卓一氏でいらっしゃいます。よき時代の幸せな家庭が想像できますね。
津田塾大学英文科を卒業された久子様は、元文部大臣、赤松良子様と同級生です。
赤松様は延岡での講演と、高千穂巡りを一緒に楽しまれました。延岡図書館には、多数の貴重な寄贈図書を戴いています。
今回建築物の一部と久子様が受け継がれた伝統料理を若奥様に引き継がれ「料亭ひだか」として1日1組限定でお受けする運びとなったとのこと。歴史を重ねてきた日高邸と受け継がれたお料理を楽しみにしております。ぜひ皆様も足をお運びくださいますように・・・。