日高家住宅のおもしろさを知ったのは、増改築の設計を頼まれて通うようになってからである。
私の主人と今の御当主が青年会議所で一緒で、ご長男の初節句祝いにお招きを受けて、その折の食器の数々に目を見張ったが、このお椀を何十年ぶりかに出してみたら、大正時代の新聞に包んであった、などという話に旧家の奥深さを感じたりしていた。
大奥様が、

「わたくしの叔父も東京で設計事務所をしているのですよ。」
「東京のどちらで?」
「目白です。吉村と言うんですけれども。」
「もしか、吉村順三先生」
「ええそうです。」
「私が一番尊敬している建築家です。それで芸大の建築科を受験したんですが受からなかったんです。」

こんな会話が縁で、増改築の設計をさせていただく事になった。
まず感心したのは、屋根組が合掌、つまりトラス構造になっているということである。
一般に田舎の民家は和小屋構造なので、太い梁で屋根を支えて、その梁の太さが富の象徴のような感がある。日高家住宅は合理的なトラス構造なので、そんなに大きな梁を使う必要は無いのであるが、トラスを正確に組む技術を大正期に使えたのは田舎の技術者ではなかったのではないかと思われる。
鰤の大敷き網の技術にしてもそうだが、新しい技術を取り入れたり、開発したり、進取の気質に富んでいたことの現れであろう。
もちろん、増改築させて頂いた部屋の天井が釿(チョウナ)ではっつて仕上げた榧の広板だったり、石造りのお風呂も船で運んで来たという香川県の庵治石だったり、凝った欄間もいくつもあって、造作材の質の高さにも目を見張るのだが、全体に感じるのは、合理的なモダンさである。

今般、若奥様が中心になって、料亭を始めるという。
日高家に伝わる進取の気質と、合理的なモダンさがどう受け継がれていくのか楽しみにしている。