明治以後の日本の近代化のなかで,漁業技術についてもその発展を担ってきた先人の努力の歴史があり,1889(明治22)年には水産業を先導する人材を育てるために水産伝習所が開設された。
その第2回卒業生の名簿に日高栄三郎の名前がある。
卒業後に故郷宮崎県赤水に帰り,父の日高亀一とともにブリ大敷網を研究改良し,定置網技術の歴史に残る日高式大謀網を1910(明治43)年に完成させた。
大正時代に入ると日本全国18か所の定置網漁場を経営し,大日本水産会理事を勤め,貴族院議員に勅選されるなど文字通りに功なり名を遂げた人物である。
水産伝習所はその後,水産講習所,東京水産大学を経て東京海洋大学となって現在に至っているが,この同窓会の初代理事長を務められた。
宮崎県赤水に始まった日高式大謀網の技術はブリを対象にした定置網漁法として日本海に広まり,富山湾氷見で上野式大謀網に発展,さらに現在の定置網の主流である落とし網という漁具設計の基本となった。
この日本の定置網技術について,回遊してくる資源を待ち受ける漁法として環境と資源にやさしいことが再認識され,2003年からは東南アジアに技術移転し,途上国の沿岸漁村振興のために役立てようというプロジェクトが始まっている。
この仕事の中で富山県氷見市の漁業者や漁具会社と連携の機会をもち,さらに歴史をさかのぼるように宮崎県赤水漁場との縁を得た。
日高家の歴史に触れ,定置網漁業の技術や経営についてお話をうかがうなかから,漁具設計や網起こしの方法をさらに工夫していくこと,そして漁獲物の付加価値を高めることの重要性が理解できた。すでに「料亭ひだか」ブランドの高級加工品についてデパートでの販売が軌道にのっている。
水産業界では今,生産者が加工品作りや流通にも積極的に参画する6次産業化の動きが脚光を浴びている。この新しい流れを先取りした企画が進行する中で,元気な網元日高から活きのよい漁獲物が加工品として日本全国へ広がっていくことを大いに期待している。