赤水の日高家に初めて出かけたのは、私が小学生の時だった。今からちょうど五十年前のことだから、随分昔の話だけれど、東京の小さい家に育った私は、日高家のスケールの大きさに驚いた。大きな部屋の連続、家の崖の下は海、まさに竜宮城のようなところだという印象だった。私の叔母が日高家に嫁いでおり、叔父叔母が歓待してくれ、毎日新鮮な魚に舌鼓を打った。現当主のやっちゃん(保彦氏)は、まだ小学校にもあがらぬ可愛い坊やだった。それから、何度か赤水を訪れ、先日も久しぶりにうまい魚をご馳走になったが、昔とかわらぬ日高家のたたずまいに、家の重みのようなものを感じた。木口のいい家というのは時が経つほど真価を発揮するものだ。昔はぼんやりと眺めていた掛け軸や扁額はみな貴重なものばかりだ。料理を盛る漆器や陶器もすばらしい。ゆっくり盃を口に運んでいると、夕靄が赤水の穏やかな海面をおおい、ときどき魚が跳ねる音が聞える。鯔がはねているらしい。この静寂は何だろう。ここに座るだけで、身体に伝わってくる、「ああ、生きていてよかった」という感覚。鯛の冷や汁を一口すすり、また一杯。赤水の桟橋の先端に舫われているロープを手繰り寄せると、大きなウミガメが現れてびっくりしたこと、また死んだウツボと思って尻尾をつまんだら、頭をもたげ私の指にがぶりと噛み付き、叔母があわてて車で病院に運んでくれたこと、そして今は亡き恬淡とした五代目当主の叔父の笑顔。さまざまな思い出が、盃の数ごとに浮かんでくる。「料亭 ひだか」機が熟し、赤水の日高家の大広間を開放し、海の幸を組み立てて人々をもてなすこととなったという。私にとって赤水は遠い。たびたび足を運ぶことはできない。しかし、「料亭 ひだか」で調理された海の幸は東京の百貨店で手軽に購入できるので便利である。それでも、私はやはり日高家の広間で「料亭 ひだか」の料理を赤水の空気を吸いながら味わいたいと思う。便利であることが本当に幸せかどうか、そもそも赤水の空気は私たちに問いかけてくる。どうぞ皆様も赤水の「料亭 ひだか」にお運びください。